人を尊敬しないという選択

ここで紹介されている内容について少し納得。


なぜ、三角形の関係は壊れずにきたのか。宮崎はある日、大発見したかのように、著者にその一因を語っている。


「お互いに尊敬し合っていないこと」


 尊敬には、遠慮が生じがち。だが、思ったことは言い合う関係でないと、ものづくりは継続しえない。遠慮がないのが、いっしょに仕事ができる理由だという意見に、著者も同意する。

〈重要なのは、言いたいことを言って、それがそのまま受けとられること。不信感をもってきかれると、違って伝わってしまう。そのまま受けとめてもらうための信頼関係は必要です〉

 信頼はするが、尊敬はしない。それが30年間、続いた理由だ。


自分の経験でいうと、「尊敬」してしまうと、相手の意見を特に考えも無しに同意してしまっている時があると思う。
そこには、ちょっとした「信仰心」というような甘えが生まれているのかもしれない。

相手を尊敬するということは、相手の考えを無条件に受け入れてしまっていて、その人に追いつこうとしても、
その人の考えの後ろをついていっているだけで、決して追い越せるわけではない。



だから僕は、例えみんなが尊敬している人であろうとも、その人に追いつきたいと思えば、尊敬しないことに決めた。

信頼はするが、尊敬はしない。

その人を追い越す為に必要な事を、自分の頭で考え、自分の頭で理解し、自分の身体で行動する。

これが今の自分が成長するために、必要なことだと思う。